演奏会レポート

第18回定期演奏会(2/4)終了

第18回定期演奏会へのご来場、誠にありがとうございました。
指揮にキンボー・イシイ氏をお迎えし、小編成オーケストラならではの協奏をお届けいたしました。
公演の一部をご紹介します。(許可取得済)

 

曲目解説 Program Note

F.シューベルト:交響曲第3番 ニ長調 D.200

  • Ⅰアダージオ・マエストーソ – アレグロ・コン・ブリオ 
  • Ⅱ アレグレット
  • Ⅲ メヌエット ヴィヴァーチェ – トリオ 
  • Ⅳ プレスト ヴィヴァーチェ

18世紀の終わりに生を受け、僅か31歳で夭逝するまでにシューベルトが遺した音楽的遺産の豊かさは計り知れない。だが、後年作られた目録は1000に届くほどの作品が残されているにも関わらず、生前に音楽的な価値を評価されたものは一握りであった。

シューベルトといえば“歌曲王”の異名が知られている。確かにドイツ歌曲の第一人者としてふさわしい呼び名ではあるが、他方、生前に出版された楽譜の殆どが歌曲だったからという理由もある(それ以外の作品が認知されていなかった)。18歳の時に書かれたこの瑞々しい交響曲についても、存命中の公式な演奏の記録は残されていない。全楽章通して演奏されたのはシューベルトが世を去って30年以上経ってのことである。

作曲当時のシューベルトは、変声期を迎えそれまで活動していたコーラスが続けられなくなり、長く在籍していた寄宿制神学校を離れ、父の紹介で教師業に就いていた。本作や、前作「交響曲第2番」の作曲と並行して、「魔王」「野ばら」を筆頭に100を越える歌曲(リート)をこの年に書き上げている。また、友人たちの前で即興的に披露したワルツやレントラーといった舞踏的なピアノ作品もストックがたまり始めていた。

ベートーヴェンよりも前、ハイドンやモーツァルトの影響を感じさせるオーケストラであるが、本作ならではの特徴が散りばめられている。各楽章に与えられた主題や旋律には民謡や歌謡的な性格が強く備わっており、当時のシューベルトに自然と根付いていた音楽がシンフォニーという形式の中で披露されている。厳かな序奏をたっぷりと奏でてから、クラリネットによる軽やかな主題が始まる第1楽章、ドイツ民謡の風合いに満ちた第2楽章、快活なレントラーに心躍る第3楽章など、いずれの楽章も愉しさを湛えており、4楽章合わせて25分というコンパクトな演奏時間とも相まって、愛らしい一作。

F.J.ハイドン:協奏交響曲 変ロ長調 Op.84 Hob.Ⅰ:105

  • Ⅰアレグロ 
  • Ⅱアンダンテ
  • Ⅲアレグロ・コン・スピーリト

ウィーン古典派の巨匠、ハイドンはそのキャリアの殆どをハンガリーのエステルハージ家の宮廷楽長として過ごしており、1000にも手が届くほど膨大な作品群はその日々の中で書かれている。その意味でもハンガリーはハイドンにとって重要な拠点であった訳だが、50代の終わりには当主も代替わりしハイドンは年金生活を送ることになる。エステルハージ家を離れウィーンに移ったハイドンは、そこで出会った興行師ゾロモンの招きによりロンドンに渡った。1791年1月から翌年にかけて、ゾロモンはハイドンのために12回のコンサートを用意して、そこでは新作を含めたハイドンの音楽がたっぷりと演奏された(自身も鍵盤奏者として出演した)。これらの公演は大きな成功を収め、ハイドンもまたロンドン滞在中に次々と名曲を書き続けた。

このハイドン・フィーバーの時にはすでにこの世を去っていたが、ドイツからやってきたバッハの息子、ヨハン・クリスティアン・バッハの活躍によりロンドンのクラシック界はバロック音楽から地続きの強固なマーケットが出来上がっていた。その一つとしてバロック時代に流行した合奏協奏曲(コンチェルト・グロッソ)の人気の高さを受けて、ハイドンが着手したのが本作である。もともと、管弦楽において各楽器に独奏的な役割を担わせることの多かったハイドンにとって、本作の制作は非常に取り組みがいがあった。ここではヴァイオリン、チェロ、オーボエ、ファゴットという音程・音色ともにヴァラエティに富んだ4つの楽器が独奏パートとして選ばれている。

 F.プーランク:シンフォニエッタ FP.141

  • Ⅰアレグロ・コン・フォーコ 
  • Ⅱモルト・ヴィヴァーチェ 
  • Ⅲ アンダンテ・カンタービレ
  • Ⅳ フィナーレ

20世紀フランスにおける最も重要な作曲家のひとり、フランシス・プーランク。実業家として成功した父親の元、不自由ない少年期を過ごし、音楽好きの母親の影響を受けて自身もドビュッシーやシューベルト、ストラヴィンスキーといった作曲家の音楽に夢中になった。だが父親の方針で音楽学校への進学は認められず、17歳の時にピアニストのリカルド・ビニェスの門下に入った。奇しくも同年に母が他界、程なく父親も世を去る。それを契機に作曲家のキャリアを本格的に歩むこととなった。エリック・サティの導きで、作曲家集団「フランス6人組」の一翼を担う。オネゲルやミヨーなど同世代の天才たちと肩を並べながら、パリを拠点にプーランクはその才能を伸ばしていった。

その生涯において二度の世界大戦を経ても、プーランクの音楽には歴史の垢のようなものは感じられない。裕福な家庭に生まれ育ったところからプライベートも至極順調で、人生の波乱万丈を五線譜に書き取っていくというタイプではなく、ただただ作曲家として自らの興味の赴くままに筆を走らせた。様々な語法を取り入れていく中で作風も多岐に渡り、プーランクを表すコメントとして「修道僧と無頼漢が同居している」という言葉はよく知られている。

本作は当初弦楽四重奏曲として着手された。出版の目処も立っていたが、試奏の段階でこの計画を破棄してしまう。楽譜を川に投げ捨てたとも言われているが、スケッチは手放さず、2年後の1947年にイギリスの国営放送BBCからの委嘱を受けた際に改めて管弦楽作品として本作に着手した。自作からの引用、既存作品のパロディなどが重ねられ、楽想もどんどん変容を重ねていく。金管楽器の多用を控え、それぞれの楽器の掛け合い、重ね合いがくっきりと浮かび上がってくる。一方でしっかりとした調性感・様式感によって一つの交響楽作品としての個性は保たれており、フィナーレと共に不思議と爽やかな感動を覚える。

(足利カンマーオーケスター専門スタッフ 小﨑紘一)

 

演奏会概要

足利カンマーオーケスター
第18回定期演奏会

日時:2024年2月4日(日)
   開場:14:30 開演:15:00
会場:あしかがフラワーパークプラザ(足利市民プラザ)文化ホール
指揮:キンボー・イシイ
  • シューベルト/交響曲第3番 ニ長調 D200
  • ハイドン/協奏交響曲 変ロ長調 Op84(独奏:Ob.三瓶みおり/Fg.柄澤芙由子/Vn.風岡優/Vc.町田正行)
  • プーランク/シンフォニエッタ FP141
inserted by FC2 system